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段ボールのオモチャのような小さな家が、いつのまにか二階のある家屋だったり、
ボール紙の壁面をはがすと青い壁の室内だったり、その壁が湿疹する皮膚のように黒い突起物が浮かんだりする。変容し続ける風景は少女の心のありようであるかも知れない。
この映画は動く現代美術のようでもある。
宇野亜喜良(イラストレーター)
誰か一人の「自分」という出来事は、長くよられた境界線の途中のわずか一ねじりかもしれなかったのに、その「自分」を含めた一連の線が、もう輪郭を失ってどこかに散ってしまっても、誰か一人の「自分」が居たという奇跡は、おとなしくその一人の体の内だけに収まってくれなくて、どこか尊く静かな狂気で、外へ外へと目撃者を産んでいくように思えて怖いです。
黒田育世(ダンサー)
アザのある少女を主人公にしながらアザそのものを見せないこの映画は、じつは私たちを彼女のアザの中に導いて旅をさせている。
映画に於ける「冒険」は、まだこんな可能性を残していた。
坂手洋二(劇作家・演出家 燐光群主宰)
この映画を見て、ほんとうにひさしぶりに思い出した。
映像にも肌理があることを。
画面にも色香が漂うことを。
彼女の躯がエロチックなのではない。映画そのものがエロいのだ。
七里圭の視線は「それ」を丸裸にし、残酷なまでに愛玩する。
佐々木敦(批評家)
廃屋の奇妙な飾りつけ、セリフをしゃべらない登場人物……やっぱり、子どもの頃、ノッポさんに遊んでもらったことがあるやつはちがう。
菓子の空き箱をくぐりぬけた先にある世界は、七里圭版『できるかな』だ。
井川耕一郎(映画監督・脚本家)
肉体と物質、虚構と現実が、一人の少女と一体の人形の間を交差する。
人形は鏡の国に存在する彼女の精神的なプロトタイプである。
極彩色の光と闇が、見る者の第六感を刺激する。
そして、少女が人形に対峙して見る妄想は、胎内のように心地よく、暖かい。
触覚的、視覚的な、超感覚映画です。
清水真理(人形作家)